丸和工芸
橋本聖子

"高岡伝統工芸"とは

高岡銅器の起源は加賀藩2代目当主前田利長公の時代まで遡ります。慶長16年(1611年)、利長公が高岡城を 建設するのにあわせて、7人の鋳物職人を城下町に呼び寄せ、以後、様々な特権を与えて保護してきたものです。 江戸時代の初期は、鍋や釜、農機具などが主に造られていましたが、徐々に仏具や花瓶など美術工芸品的な要素も 取りいれられ、確かな技術を持った職人たちの手によって大きな産業へと成長しました。

高岡と言えば・・・・

大伴家持 大伴宿禰家持は『万葉集』の最終編纂者であると言われている。それは、だれかによってすでに編まれていたと思 われる巻々やさまざまな私家集などを基にして、現在の形にまとめあげたのが家持に違いないという意味 である。
家持は746年(天平18)6月、はじめて地方長官として越中の地に赴任する。そして少納言に任ぜられ都へ帰った 751年(天平勝宝3)までの足かけ6年(満5年)に至る越中守としての日々は、家持にとってもっとも輝かしい日々 であったはずである。つまり、万葉歌人としての第一級の作者にまで名を高める下地を築いた5年間であったの だ。

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